昭和46年04月18日 特別奉修委員
厳密に言うて私達が本気でこの、信心にならしてもらい、本気で信心の苦労というか、もうまともから、有難く受けていくぞ、と言うこの腹がでけたら、絶対苦労は神様はさせなさらんですね。ですから苦労がある間はまだ本気でね、あの苦労しようと思っていない証拠と間違いないないですけれどね、もうそこが中々人間は、ほんとのことがでけませんですね。私はあの福岡での修行中の時分に、もうお商売もさせて頂けませんし、まあ神様のまあ御用で、御用でというよりも修行で。
福岡の町を、さあ西公園、西公園行ったら、今度は東公園なーんにならんようなことに、久留米、あの福岡の市内をあっち回り、こっち回りヘトヘトするほどさして頂いておった時代がありました頃でしたけれど、神様これはもう私一人の苦労ならいといません、けれどもやはり家内もおる、こちらに来ている子供もおりますし、ですからせめてもう、最低の生活でも良いから、保障して頂くことのためにね、まあどんな仕事でも良いからまあ、あの仕事をさせて頂きたい、というて願ったことだあるんです。
まぁいつも話し聞いて頂くわけですけど、あるとき神様がどこどこのなんという町に、なんというたどん屋があるから、そこへ行ってなら職を頼んでみろとこう、仰ったことがあってね、参りましたらもう、教えて頂いた通りのところにあったけれども、丁度夏のことで休業状態みたいでね、冬口ならばねあの雇ってあげるけれども、と言った様な事で、体よく断られたんですけど、まあそれでもその嘘にでも教えて頂いた事が、もうこの道筋とかね、そういうたどん屋が、あつここにあったと言う事なんかだけでもね、実際有り難かったんですよ。
けれどもあの私があまり、その最低の生活さえ、生活の事を頼むもんですからね。又ある時にはね、私はまだそのそれをどう言う事だか知らなかったんですけども、もう昔でいうなら人力士でもいいとこう、思たんですよ。あの時分は今はどうか知りませんけども、夜にあの三輪車を牽く人がありますね、牽くものが乗せていく、あれは今から考えてみるとあれはその、まぁいうならよかとこへ案内するする車だそうですね。
私は京都なんかに行ったときなんかは、正義さんと二人でおおいばりで、京都の町をあれで乗り回したことがあるんですが、後から聞いてみて、あれはそういう悪所通いに使う車だそうですね。京都だから福岡辺りもそうだったに違いありません。けれども私は、あれならば夜中の仕事だしね、昼は神様の御用さしてもろうて、夜はあの三輪車自転車には、乗り切るけんで、あれでもさせて頂きたいというて願ったことがあるんですよ。そしたら、神様が朝のご祈念の後でしたけどね。
あのんならあのどこどこへいけちゅたあら、今はあるか無いか知れんが、中洲のもう狭いところに三輪車の、三輪車ですたいね、あのあの事務所があるんですよ。古言狭か間口でですね。事務所がありました。してそこへ行きましたら、はあやっぱここには、こおう言うとこあるたいと思うて行ったところが、朝が早かったもんですから、まだ、あかっていないとですよ。
それからこちらの、中洲の橋のところに出てきてから、神様先日もたどん屋に行ってこうであったし、今日も今日とてこの様にお願いさせて頂いて、やらせて頂いて、神様、行けとお許し下さったから行ったのにもかかわらず、あちらがまだお店が開いておりませんでした、と。これはどういうことじゃろうかというて、あのご祈念をさせてもらい、お礼を申させて頂よりましたらね、あの役者がこう、化粧してかつらをかぶってるような場面を頂くんですよ。
それでね、ほんというたらね、ここまで言うたら、神さまが何かもっと、他の仕事を与えてくださる、良い仕事を与えて下さると思ったんですよ。実は私の心の中に、博多で一年ばっかり、お商売しておりますから、夜夜中にいくらその車引きでもね、まあ顔見られたら恥ずかしいな、と言った様なものがこころにあったわけですね、そげんして神様にいやおるけれどもですね、それが本当ではなかったわけですね。ほんとに神様が、んならたどんやに行けと仰ったり、その車引きをせろと仰たら。
恐らくまた私がたじたじしただろうと思われる、けどもこんなに困っておると言う事を言うためにね、神様にそういうお願いをしたんだ、いわば私はお芝居をしよるだけ、で神様の前に、だからそれでは通じないと言う事も頂いて、これはもうほんとに、もうこげなことお願いせんがええ、とことに決めたんですけどね。私達がねこれはもう厳密に言うてですよ、本気で苦労しようという気になったら、絶対苦労させなさる筈はないですね、お金ならお金で苦労する。だからもう、苦労するなら本気でいっちょ。
苦労してみろという気になったら、苦労はさせなさるはずは、絶対ないですね。けれどもまだそれは言いよるだけであって、ほんとの心の底から苦労しようと思うとらんから、苦労が続くのですよ。ですからまあこれはしかし厳密にいうてそうなんですけども、私共は中々本音本性を出し切らん、信心の上にですね。そこで今朝あたりのご理解のように、んなら窮屈の中に入らせて頂いてでも、そういう修行をさせて頂くことによって段々、ほんとのものに出来上がっていくという。
だからその修行がだから必要になってくるわけなんですね。昨日秋永先生達夫婦が御用させてもらいよりました。それからあのちょうど、二度目のお参りを、あの麻生さんと、綾部さんと昨日、大変広大なおかげを頂いて、ちょっと今からお礼お参りをせずにおられんで、綾部さんあんた参んなさらんかち、言うちから誘いなさったそうですから、んなら私もお参りしょう、というてから二人で参ってきてありました。丁度夕方でしたから、控えで秋永先生たち夫妻と、私とまぁお相伴させて頂いてからのことですけど。
秋永先生が「先生今朝方妙な夢頂いたですが、こげな夢頂いたちゅうてからいわれますこと
(途中末尾切れ。